歴史的背景

竹島の領土問題について歴史的背景から紐解くということも必要になっています。感情的になりがちな問題でもあり、ナーバスです。歴史的な背景から見てどちらに理があり、部があるのかといったことはそれぞれの判断となり、後々の外交などで明らかにされてゆくことになるでしょう。江戸時代以前から日本は竹島を日本の領土として認識したいたと主張しています。1618、2代将軍徳川秀忠は鳥取藩の兆人であった大谷家と村川家に鬱陵島に対しての渡航を認めています。この際には竹島を寄港地にしていました。その後鎖国の時代に入り、鬱陵島には渡航が許されませんでした。しかし竹島については禁止されることがなく、鬱陵島は外国領、竹島は日本国の領土であるといった認識が確立していたと考えることが出来ます。明治時代に入り、政府は隠岐島民から竹島を隠岐島庁の所轄とするが良いだろうかといった要請を受け、島根県への編入を閣議決定しました。その後第二次大戦の敗戦を経て、日本が独立を回復するに至ったサンフランシスコ講和条約にて、日本は放棄すべき領土として済州島と巨文島、鬱陵島を含んだ朝鮮が規定されました。この時には竹島は含まれておらず、固有の領土であったと国際社会も認めていたと受け止めているのが日本の主張です。韓国の古文書に竹島が記述されているというのが韓国側の主張ですが、それがすなわち領土として認識できるものとは言えないと、日本側は反駁しています。

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